今月の10冊 -3ページ目

ギター侍の書

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ギター侍の書/松井 彰彦著(日本テレビ放送網)

 ギター侍は、凄い。なんといっても「斬り!」と言っておきながら、まったくどこも斬れていないのが凄い。例えばこの『ギター侍の書』から久本雅美に関する「斬り」を引用してみる。

「私、久本雅美。いっぱい番組やってるよ! 恋するハニカミ!・あいのり……毎回ドキドキしちゃう……って言うじゃない?」(振り)
「でもあんた、人の心配してる暇ありませんから! 残念! こんなマチャミをよろチクビ! 斬り!!」(オチ)


 久本雅美が独身売れ残りキャラであることは久本自身が打ち出している売りそのものであり、既にテレビ視聴者の共通認識となるまでに浸透している。「人の心配してる暇がない」のも、久本自身が番組上で毎回のように自虐的にネタにしていることだ。「斬る」という言葉を字面通りに解釈すると「独自の視点で他者を評する」ということになるのだろうが、波田陽区の「斬り」に彼独自の視点は見受けられず、最終的に久本のギャグ「よろチクビ」を再利用して落とすことまで含めて、完璧に共通認識の確認作業に終始している。にもかかわらず、『ギター侍の書』が発売から一月あまりで4版を重ねる売れ行きを見せ、流行語大賞にノミネートされるまでになっているのは何故か?

 昨今、お笑いが「ブーム」だといわれるのは、老若男女幅広い層にアピールした結果だ。より多くの人々に受けるためにはお笑いにセンスなどを問うべきではなく、まず第一に「わかりやすい」ことが求められる。自己啓発本は「元気がないときは声を大きく出そう」「明るい表情が周囲を和ませる」などのわかりきった内容を、あえて大上段から言い切ることで安易な答と安心を与えるから売れるが、『ギター侍の書』も多くの自己啓発本と同じように、「誰もが知っている面白いこと」をメロディに乗せることで真新しい真理のように装飾し、大声で言い切り再確認させることで誰にでもわかる「面白さという安心」を与えているから売れるのだ。

 あとがきで波田陽区は「おもしろくなりたい」と語っている。自分のことが面白くて仕方ないと思っている奴だらけのお笑いの世界で、わかりやすいことしか思いつかないまま今の立場に来てしまったことへの葛藤を吐露しているかのように。ただ、共通認識の確認スタイルが多くの人々に「お笑い、のような安心」を与えているのだから、彼のような芸人がいてもいいのかもしれない。
(掟ポルシェ)

間宮兄弟

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間宮兄弟/江國香織(小学館)

「“そもそも範疇外、ありえない”男たちをめぐる、江國香織の最新恋愛小説」と帯にある。ほほう、オタクっぽい兄弟かなんかが真実の愛に目覚める話かね? そう思いながら読みはじめた私の予想は、大きく裏切られることになった。だいたい、コレって恋愛小説なのだろうか?

 主人公は、一緒に暮らす35才と32才の兄弟。もちろん、ともに彼女いない歴は年齢と同じ年数だ。その二人のある夏から冬にかけての出来事が描かれるのだが、たしかに恋愛をめぐる物語ではある。実際彼らは「もう女の尻は追わない」なんて決意するそばから女、否、「女への思い」に振り回されてばかりいるのだ。しかし、むしろ作者のフォーカスは、彼らの暮らし振りに向けられているように思う。彼らの生活は、夏は浴衣で花火をし、冬至にはゆず湯に入る、などというしごく真っ当なもの、真っ当すぎて赤面もいいとこな行為の固まりであり、つまりとてつもなく贅沢なものなのである。そんな兄弟の季節の楽しみ方や趣味へのこだわり、母親との関係性などが、江國ならではのツボを抑えた絶妙な匙加減で丁寧に描かれていく。

 つまりこの作品はストーリーというより分析的な小説なのである。ゆえに、読者が間宮兄弟に共感できるかどうかによって、評価は分かれると思う。正直私は、間宮兄弟にも、まわりの女性たちにもあまり共感できなかった。兄弟の気持ちは分からないでもないのだが、30代の男としてはどうにも子供っぽすぎるし、彼らの家を訪れる女たちの行為にしたって、「その程度の知り合いの家に行かないでしょ!」と突っ込まずにいられなかったからだ。

 そういう意味では、あまりリアリティのある作品とは思えない。これは様々な意味で“ありえない”男たちの、“ありえない”ほど豊かな日々の物語なのだ。恋愛至上主義が横行する現代で、「こんな人達がいたっていいじゃない」という江國香織のファンタジーではないか。(カワキタフクミ)

人のセックスを笑うな

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人のセックスを笑うな/山崎ナオコーラ(河出書房新社)

タイトルで赤裸々な告白の本かと思ったら、最初の数行を読み出した所で、足元から「妙」なもやもやした空気が上がってのみ込まれました。空を飛ぶ鳥の足のぶらつきなんて、普段ちっとも見ていなかったから? そしてこのペンネーム。何事かと思い、一気に読み進みました。

19才の「オレ」と、52才の夫のいる39才の美術教師の話だけど、前回の『天使の梯子』が、"物語の原型から背負い投げ"だったら、こちらは全身の関節をひとつずつはずされて、新たな感覚器官をくにゃっと埋め込まれてゆくような快感がありました。

前の席にいて教科書読んでいる優等生というよりも、窓際で指先のささくれをいじってばかりだけれど底知れない雰囲気の生徒といったような。演劇でいうと、北島マヤ?

恋愛と書いたけど、「オレ」は受け身気味だし、前の彼女の編んだマフラー巻いて、唇の皮が破けかけたまま。彼女も毛玉のついたセーターを着て髪はぼそそぼそ。39才のままの39才。笑った時の目尻のシワがかわいいらしい..。細かいもっさり具合の描写が身近で、さらに引き込まれました。

更に、「オレ」の考えは、まるで発明品のようでした。

――「オレは昔、かっこよくなりたい、筋肉を付けたい、としきりに考えていたが、今はゆがみたかった。」

――「オレ」は人生について考えるとき、「自分の中身」や「自分の成功」というようなことより、「サバイバル」という感覚の方が強い。

特に、「好きになると、その形に心が食い込む。そういうことだ。オレのファンタジーにぴったりな形がある訳ではない。そこにある形に、オレの心が食い込むのだ。」
なんて、丁寧な物事の感じ取り方だなあと、ときめきました。座禅しなくても、もう我が溶けていて、前向きなあきらめを持ちつつ、じっくり日々の観察を楽しみつつ生きているような新しさがありました。

目の前の、他人から観たらばかばかしいようなきらめきこそ真剣に見失わずにいたら、大きさはどうであれ、心のあかりを保ったまま生きて死ぬことが出来るだろうという、小説のふりをした生きる奥義の巻物かもしれません。大好きです。(松本典子)

すまなきゃわからない沖縄

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すまなきゃわからない沖縄/仲村 清司(新潮文庫)

「いつか沖縄に移住したい」。沖縄を一度でも訪れると、そうした「沖縄病」にかかってしまう人が多い。かくいう私もその一人だ。初めて訪れた21年前から毎年沖縄に通い、虎視眈々と移住のチャンスを狙っている。この本はそうした沖縄病にかかった人のために書かれた沖縄の本だ。青い海と広い空の常夏の島。そんな観光パンフレットの世界とは確実に違う生活が沖縄にはある。著者の仲村清司さんは大阪からの移住者だ。しかも妻の沖縄病につき合って移住した。だから、沖縄のよいところも悪いところも、実に客観的に捉えている。しかも、都会人としての視点を忘れていない。そこが、実に貴重なのだ。

 軽快でユーモラスな文体のおかげで、スラスラ読めてしまうが、沖縄病21年の私には思い当たることが多い。部屋中にわきだしてくる蟻、いい加減な時間感覚、なんでも飯の上に載せてしまう弁当。そうしたもの全てを受け入れないと、沖縄には住めないのだ。

 すでに沖縄病にかかっている人にも、これからかかりそうな人にも、移住前に必読
の書だ。(森永卓郎)

天国の五人

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天国の五人/ミッチ・アルボム著(NHK出版)


ちょうど去年の今頃父が死んだ。私の目から見たところ、父の晩年は決して恵まれているとはいえないものであった。父を思い出して悲しくなるときがある。「果たして、父の人生ってなんだったんだろう」。そう考えると、無性に切なくなってしまうのだ。

ミッチ・アルボムの新著『天国の五人』の主人公エディも、愛する妻に先立たれ、海の見える遊園地でアトアラクションのメンテナンス係として寂しい晩年を過ごす老人だった。そんなエディがフリーフォールの事故によって命を失うところから、この物語は始まっている。

まず本をめくると、こんなことが書いてある。
「たいていの宗教に独自の天国があるように人はみなそれぞれの天国を持っています(中略)この本に書いた天国はひとつの推測、ひとつの願望にすぎません。(中略)この世ではつまらない存在だったと思っていた人たちに、自分がどれほど大切な存在で、どれほどみんなから愛されていたのかを知ってもらう場所ということです」

死んで天国に行くと、先に逝ってしまった五人の人があなたのことを待っているという。それは、自分の人生になんらかの理由で関わった人々だ。遊園地のメンテナンス係として一生を終えたエディ。この物語は、天国でエディを待っていた五人との出会いで綴られている。

長い人生では、多くの人とすれ違う。もはや、心の隅にも残っていない出会いもあっただろう。そしてエディを待っていたのは、意外な人々であった。エディが最初に出会ったある人物がこう語る。

「みんな天国は楽園だと思ってるだろう?雲に乗って、川や山でのんびり過ごすところだって。慰めのないただの景色じゃ意味ないじゃないか。これは神様からの最高の贈り物なんだ。人生に起きたことが分かる。すべてに説明がつく。それこそ誰もが求める平安だ」これがミッチ・アルボムが願う天国なのかもしれない。そして、読者が『天国の五人』読み終えたとき、エディの人生の意味を知ることになるだろう。ムダな人生なんてひとつもないと…。

著者のミッチ・アルボムの前著『モリー先生との火曜日』は、アメリカで600万部、世界各国でベストセラーとなっている。まだ未読の方にはこちらもお勧めである。この『モリー先生との火曜日』はノンフィクションで、大学の恩師であるモリー・シュワルツが死の淵にあって、毎週火曜日に彼のベットの元でミッチ・アルボムとディスカッションされた、人生の意味に関する最終講義である。『天国の五人』はここから出発しているといっても過言ではないだろう。今なら『普及版 モリー先生との火曜日』として発売されている。(山下惣市)

電車男

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電車男/中野独人著(新潮社)


 中野独人の『電車男』は「変身・成功もの」だ。電車の中で酔っ払いから女性を救った秋葉原系「ヲタク男」が、やがて女性の愛を手に入れる。「やがて」の過程にあるのが「変身」なのだが、モテない男が集うインターネットサイトで「同士」からの叱咤激励を得て、告白へと行きつ戻りつする……。「実話」なんだそうだ。
 それまで行ったことのない美容院へ行き、メガネをコンタクトに替え、世間並みにワードローブの充実も図る。その結果、女性の愛を、ということになるのだが、読後感としては、「変身」が功を奏したのかどうか、という謎が残る。外見の「変身」が、「ヲタク男」に幸せをもたらしたのか?

 答えは「否」だと思う。

 しかし、外見が変わったって内面は変わらないんだから、結局、中味が大事なんだと主張している単純な小説ではない。外見につられて内面が変化していくのは、読み取れる。それよりも洋服だけでなく、美容院やコンタクトも含めて「お買い上げ」する気持ち良さを描いた小説なんじゃないのか?

 秋葉原で「ヲタク」アイテムに萌えるのも、流行の洋服に萌えるのも「等価」だってことを言ってる小説のような気がする。「等価」という言葉が出たついでに言えば、田中康夫の『なんとなく、クリスタル』にも共通する作品なのかもしれない。
 それと、カッコよく「変身」したのかどうかも謎だ。結果よりも、「変身」しようとすることの快感のほうが大事ということなんだろう。服は変わっても、たぶんダサいままで、彼女に会ってるんだと思う。
 私見だが本当にオシャレな人はちょっとズレているもの。センスが独自だったりするから。と言っても、「ヲタク男」がその範疇に入るわけではなくて、また違うズレ方をしてるんだろうなと思うと、この『電車男』、すごくホノボノした小説に思えてくるのだ。雄策)

食べていくための自由業・自営業ガイド

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食べていくための自由業・自営業ガイド/本多信一(岩波アクティブ新書)

 通勤電車の中で本を読んでいる自分へ、なぜか同世代と思しき会社員たちが視線を送る。無精ひげをはやし、ノーネクタイのスーツに身を包んだ38歳のサラリーマンが手にとっていたのは『食べていくための自由業・自営業ガイド』という書籍だった。

 会社員をしていると、一度や二度は独立を夢見るのは、当たり前。1回でも転職を経験した方なら、理解してもらえると思うが、転職しても「雇われの身」であることには変わりない。やはり目指すところは独立なのだ。本書は独立・開業指南書とは何か違う。よくある「こうすれば、あなたも成功します」的な眉唾的な指南書ではなく、非常に親身な人生相談書であった。そういう意味では独立開業して、一儲けしてやろういうスケベ心を持つ方には別の指南書がいいだろう。

 独立・起業に関する本を読むのは、非常にわくわくする。なぜって? いつ自分にぴったりはまった職種・職業が出てくるかと期待しながら読み進めるから。まずは各種販売代理店行政書士事務所といった無難なところから職業紹介が始まる。うーん、これってよくあるけど、自分には向いてないと、かるく流す。整体師、焼き鳥屋、便利屋、おっ、これなら自分にもできそうだと、ちょっとわくわくしてくると、NPO法人、牧師、神官といった厳かな職業も登場する。さらには美術家や陶芸家だって、立派な自営業だとくる。かなり奥が深い。つまり、どうせやるなら、まずは自分の好きなことを考える、ついでに人の役に立てたら、なおハッピーだと。もちろん著者そんな軽いノリではなく、社会貢献を考えることも大切だと説く。ここらへんで、私の柔な夢は打ち砕かれていく。

 著者曰く、会社員中心の社会に慣れてきた日本人は職業に対する意識が未熟だと。会社員が一番安心と信じ、会社に頼った生き方をしてきた人にとって受難の時代になるのだ。非常に身につまされる。また、人には会社員に適正のある人、自営業・自由業に適正のある人に分かれると言う。自分が自営業・自由業に向いているという自信はないが、サラリーマンである自分も会社に頼らず、いつでも独立できるようなプロ意識をもって、仕事に打ち込もうという意欲がわいてきた。

 最後に皆さん、ご安心を。本書によると、統計上、日本には3万職種以上の職業があるらしい。きっとこれだという職業が見つかるような気がする。(なみへい)

思い出トランプ

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思い出トランプ/向田邦子(新潮文庫)

向田邦子の短編集。
中でも私の一番のオススメは、「かわうそ」

脳卒中で倒れ、右半身に軽い麻痺の残る夫、宅次と、九つ年下の妻、厚子。この子供のいない中年夫婦の話。自分にはもったいない女房だと思いつつも、何か納得できない宅次。かわうそに似た、いつも明るい妻を見ていると、頭のなかの地虫がじじ、じじと鳴き出す。そして、妻のなかにもう一人の女を見つけていく。

たった14ページの中に、まあ、わくわくゾクゾクしちゃうような妻の残忍さがあふれてるの。この作品がすんばらしいのは、とても現実的で全く小説的とっぴな出来事がないところ。そして、やさしい日本語しか使ってないところ。いっけん地味に見えますよ、ただ中年夫婦の日常を書いているだけですから。でも、内容も、文章から臭うにおいも、とにかく意地悪でおもしろいの。

この本、親友のオカマから薦められたんですが、その時の文句はこうでした。「アナタ、絶対好きよ。だってアナタ、性格悪いもん」。性格悪い人は是非、読んでください。ニヤニヤできますよ。
読後、そのオカマと話ました。「絶対、向田邦子って、根性悪だよねぇ。ひねくれてるわぁ。ブスとオカマのひねくれ方なんて、可愛いもんね。でも、この人、天才よね」 (光浦靖子)

熱情-田中角栄をとりこにした芸者

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熱情-田中角栄をとりこにした芸者/辻和子(講談社)


 本著は神楽坂の元芸者で、田中角栄元首相との間に二男一女をもうけた辻和子さんの回想録。現在77歳の著者は、実家の家業の失敗により8歳で芸妓置屋「金満津」の養女となり、14歳でお座敷に上がり、19歳のとき、当時28歳だった田中角栄に見初められた。以来、47年間、角栄を陰から支えた女性として知られる女性である。

 角栄氏を「おとうさん」と呼び、出会った当時から氏が亡くなるまでのことを静かな愛情を持って振り返る姿は、妾というより、普通の夫婦同然に夫を愛した妻の思い出録といったところだ。後に二人の間に生まれた長男が「父がいつも家にいないのは多忙だからだ」と思い込んでいたとあるが、子供にとっても妾の子という意識がなかったほど、二人の関係はごく自然なものだったようだ。

 <昔は、「旦那さん」、つまり、経済的な援助をしてくれるパトロンを持つことで一人前、つまり名実ともに一本の芸者になったと認められたものです>と著者が語るように、当時は妾芸者も珍しいことではなかった。それこそ、旦那さんを持った暁には、芸者総出でお披露目会が行われたという。だからこそ、著者は田中家にも公の存在だった。

 が、実際には田中家との確執は深く、いくつかのエピソードを本著で語っている。角栄氏の父親が「同じ孫だから」と、著者の長男と当時11歳だった本妻の長女である眞紀子氏と顔合わせの会を催すと眞紀子氏が突然泣き出したこと、85年に角栄氏が脳梗塞で倒れた後は連絡が取れない日々が続いたこと、そして角栄の葬儀のとき、著者は列席を遠慮したものの、長男が門前払いをくらったこと……。このほかにも、他人の座敷に上がると平手打ちをしたという氏の嫉妬深さや、ロッキード事件当時のことが描かれ、角栄氏に関心がある人にとっては、素顔を垣間見ることができ、興味深いだろう。また、戦後間もない神楽坂での花柳界の様子も詳しく描かれ、当時を知る術としても面白い。

 ただ、角栄氏と出会うまでの幼少時代の話がやや長く、著者自身に関心がないとやや退屈。また、著者の柔らかな語り口からはバラエティに富んだエピソードも時に緊迫感に欠けることがある。さらに、これだけ角栄に愛された日々を吐露されると、女性読者ならば、本妻や田中眞紀子氏のことを思い、複雑な気持ちになる人もいるかも……。(春野玲子)

知りたい人・答える人のための資産運用のABC

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知りたい人・答える人のための資産運用のABC/日高誠司(近代セールス社)


1987年に119万7千円で政府が放出したNTT株は、1ヶ月足らずの間に300万円をつける狂乱をみせた。当時、株式投資をやらない者はアホであるという雰囲気が流れ、借金までしてNTT株を買った者がいた。90年に同株が72万円までの暴落した時、「騙された!」という声があふれる裏で、うまくNTT株を売り抜けほくそ笑んだ者もいた。それからだ、大きな会社が潰れ、年金問題が喧しくなり、「自己責任」という便利な言葉がこの国で、着実に浸透しはじめてきたのは。

資産運用は、自己責任という言葉が支配する最右翼の世界である。国自体が自己責任という言葉をくりだしてきている状況では、アクションを起こさないこと自体が大きなリスクになってしまう可能性もある。せめて、資産運用とはどういうものなのかだけでも頭にいれておくために、『資産運用のABC』を一読して欲しい。

本書は、資産運用の基本的な考え方や、根本に立ち返っての取組み姿勢のようなものを伝えようとしている。野球の打順編成になぞらえての分散投資理論のユニークな解説がある一方で、「非常に強いストレスを感じるようであれば…身の丈を越えがんばりすぎている可能性がある」という戒めがある。金融機関で投資のプロでもあった筆者自身の投資経験を踏まえた気づきがあふれており、単に投資の入門書を超えて、自己責任という言葉について考えるためのよいきっかけとなるに違いない。(高橋英之)