今月の10冊 -4ページ目

ヒロシです

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ヒロシです/扶桑社

 昨今はお笑いブームだそうで、巷では野坂昭如のロシアンフックでメガネを吹っ飛ばされた大島渚がマイクで殴り返したり、米良美一が加藤鷹と同じヘアスタイルでもののけ姫を熱唱するときの唇がちょっとアヌスっぽかったり、TBS「ジャスト!」のお部屋改装し隊に出演した一人暮らしのOLの部屋が大御堂先生によって数十万円かけてメチャメチャアバンギャルドな学芸会みたいに改装されたりと、我が国は様々な種類の笑いで溢れ返っている状態。その一方で笑いの需要と供給のバランスは過食症の如く崩れ、着物姿でギターを抱えた藤原敏男似の男が当たり前のことを大声で叫ぶのが「お笑い」のカテゴリに入っていたりして、ブームというものの功罪に翻弄される現状である。

 お笑いブームの寵児の一人であるヒロシの芸風は、笑いにするしかない日常の悲哀の吐露。シャンソンをバックにホスト風の優男がしゃべる抑揚のない熊本弁が、情けなさを対位法的に浮かび上がらせている。しみったれた情景のバリエーションをひたすら羅列していく一言ネタスタイルは、実際それほど爆発的な笑いを生むものではないが、なんとなく情けないことがあったときマネしたくなる点で秀逸だ。

オキテです……
フルフェイスのヘルメット&上半身セーラーズ下半身裸で出刃包丁を持ってコンビニでピザまんを買おうとしたら、ラガーメン風のガタイのいい男性会社員に事情も聞かずタックルされたとです……
「ファッションに反則はない」とヴィヴィアン・ウェストウッドも言ってたのに納得いかんとです……
オキテです……
オキテです……
オキテです……

我が身に当てはめたが応用例として不適当だったので、この本を読んでみんなちゃんとヒロシするとです…… (掟ポルシェ)

手帳200%活用ブック

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手帳200%活用ブック/日本能率協会マネジメントセンター

世の中ちょっとした「手帳ブーム」だ。なにもドラマ『黒革の手帖』がリメイクされてヒットしていることだけを言っているのではなく、「ほぼ日刊イトイ新聞」の「ほぼ日手帳」が追加販売されるほどの人気であったり、書店で販売されている「手帳」の種類や流通量も増加傾向にあるという。

本書は、「ほぼ日手帳」が好評の糸井重里や、『一冊の手帳で夢は必ずかなう』のGMOの熊谷正寿社長、『三色ボールペン情報活用術』や『声に出して読みたい日本語』の齊藤孝など、「手帳界」(?)の重鎮たちが勢ぞろいし、独自の手帳活用方法を紹介している実用書だ。

見どころは、公開されている「手帳の達人」たちが実際に使っている手帳の数々。「1つ終わるごとに敵をやっつけるかのごとく赤で消していく」というワタミフードサービス社長の渡邊美樹氏の手帳は、戦場を思わるように全面真っ赤。GMO熊谷氏が21歳の時に書いたという「夢がかなう」手帳には「マイホーム、こうじゃなきゃいやリスト」なんていうものまである。で、齊藤孝はやっぱり3色。

後半には、目的別の手帳の選び方や、使い分けの方法が、具体例を挙げながら解説してあるので、「手帳を買ったものの、十分活用できていない」という読者には参考になるはずだ。来年の手帳を買うまえに、自分の生活パターンを顧みながら、どのタイプの手帳がマッチするのか、一度チェックしてみたら良いだろう。

「デジタルはアナログを完全に駆逐する」なんて幻想は、いまは誰も信じてはいないだろうけど、改めて「手帳」というアナログな情報整理ツールが、「残り続けている理由」について考えてみたくなる本だ。ページを繰り、文字を書き、消し、時には破り、貼る。PDAやグループウェアには残らない「痕跡」や、「味」といったものが、「手帳」にその人を現すのだ。まるで本棚のように。(わだのり)

天使の梯子

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天使の梯子/村山由佳(集英社)


<誰に何を言われても消えない後悔なら、自分で一生抱えていくしかないのよ>

 丁度直前に、『純愛カウンセリング』岡村靖幸を読んでいたので、こちらはどんな愛の形なんだろうと深呼吸しながら開きましたが、むしろ物心つかないこ
ろ、何となく観ていた教育テレビでの映画に、生まれて初めて大泣きしてしまった時に似ていました。

 確か、『汚れ無き悪戯』というイタリアのモノクロ映画でした。ひとりで留守番をしていた、幼稚園の休みの日の昼下がり、筋を追って感動するということ
もおぼつかないままに登場人物を見詰めていて、水の中に突き落とされるように物語そのものの結末に吸い込まれてしまったような。

 修道院に拾われた孤児が屋根裏部屋のキリストと出会って..、という宗教的な話だったけれど、お茶目で皆に愛される孤児の男の子の描写は、こどもから
観てもともだちになりたいと思うくらいに身近に思えて、だからこそ、最後にすとん、と終わりになった時は恐怖とも悲しみともつかない感情の大波に襲われ
ました。

 物語の原型から、直に背負い投げされたような。

 取り返しのつかない喪失を抱えたまま10年の間生きてきた歩太。彼の世話を焼くことで辛うじて自らを立たせている夏姫。両親に捨てられ、唯一見守っていてくれた「ばあちゃん」を亡くしたばかりの夏姫の元教え子の慎一。夏姫は慎一に寄り添ううちに、かつての物語をなぞるように恋に落ちて行きます。

 自らを責めて行き場の無くなった想いは、会話のやりとりの中でゆっくりと浄化され、宮沢賢治の、とあることばで空に引き取られてゆきました。そこで、何故『汚れなき悪戯』に印象が重なったのか、はっきりと判りました。両思い・成就で満たされる恋愛というよりも、ジョバンニとカムパネルラのような喪失とその後の生や「ほんとうの幸い」の方向へ物語が向いていたのだと。その他「ごんぎつね」というか、なんというか。
 
 でも、確かに慎一の淡い恋から始まっているし、西武線沿線(大泉学園や石神井公園)が舞台だし、日常から離れ過ぎている場面はひとつもありません。
 
 それでも、切実な読者は気が付くと「天使の梯子」の下に、各々の大切だったひとが立っているのを観ることも出来るでしょう。そして、更に物語は10年前からの哀しみを全て昇華させる決意を持ったかのように進みます。

 理不尽な出来事に遭遇して心に深い傷を負ってしまったとしても、生まれかわりを待たずとも、今生きているうちに泪(本文より)を流し切り、時間がかかっても乗り越えて行けたら。その経験の分誰かに優しく出来たら、という祈りの様な願いを追体験させてくれました。
  
 恋愛のデロリとした面を求める人には物足りないかもしれませんが、必要としている人には、200キロぐらいの直球でみぞおちを直撃するはずの一冊です。(松本典子)

デフレはなぜ怖いのか

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デフレはなぜ怖いのか/原田 泰(文春新書)


 バブル崩壊以降に日本経済が陥った長期不況は、日本経済が抱える構造問題が原因というのが、主流派エコノミストの診断だ。90年代に膨大な公共事業を実施しても、ゼロ金利に至るまで金融を大きく緩和しても、日本経済は復活しなかった。だから、あとは構造改革しかないというのが、いまの主流の考え方なのだ。

 著者の原田泰氏は、こうした主張に真っ向から反論する。日本経済が不振に陥った原因は、デフレに陥ったことが原因だというのだ。

 原田氏の主張に同調する経済学者は多いのだが、原田氏の考え方が広く知られることがなかったのは、彼の著作が厳密な計量分析を含んでいて、経済学と統計学の基礎知識がないと、読みこなすのが難しかったからだ。
本書は、原田氏のこれまでの著作のなかから、統計的検証の部分を思い切って切り落として、一般読者に読みやすく書き直したものだ。
デフレとは何か、デフレはなぜ悪いのか、なぜデフレが続いているのか。それを、分かりやすく解説している。特に、結論部分は多くの読者にとって衝撃的な内容だろう。
私は、原田氏の主張は、正しいと思う。日本経済の姿を、通常とはまったく違った視点から見つめなおしてみたい人にお勧めの本だ。 (森永卓郎)

イージーゴーイング

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イージー・ゴーイング/山川健一著(アメーバブックス)

自己啓発系の本が売れている。プラス思考で頑張れ!人生の勝ち組になろう!しかし、そんな人生のHOW TO通り、いつもポジティブでいられるほど人間は単純じゃない。
今回ご紹介するのは山川健一氏の新著『イージー・ゴーイング』だ。著者には、十代の頃から変わらない座右の銘があるという。

<無理するな>

そんな彼が書いたこの本も、大きく分類すれば自己啓発系の本である。しかし、その内容といえば脱自己啓発のススメなのだ。

(以下本文からの引用)『「目標をもって生きろ」とか「時間を無駄にするな」とか「あきらめずに頑張れ」とか、そういう言葉は呪文だ。人々を追いつめる呪いの言葉なんだ。そういう魔術に騙されちゃいけないよ。「サクセスした自分をなるべくイメージしてみましょう」。そういうのはくだらないって。サクセスする必要なんてない。負け犬なんてものも存在しない。ありのままの、等身大の自分がいるだけだ。それを大切にしよう。』

この頃、どんなゲームをやっても面白くなかった。例えば、ロールプレイングゲームで主人公のレベルを上げる。熱中しているうちはいい、ある瞬間にふと我にかえってしまう。「こんなレベルをあげてる暇があったら、自分自身のレベルをアップしなきゃ」。こうなると駄目、途端にゲームが味気ないものになってくる。自分も呪いの呪文に侵されているようだ。

第一章「ありのままの自分を知るには、どうすればいいの?」では、自分の好きなものをノートに書いてみようとアドバイスしてくれる。これは是非とも実践して欲しい。自分の好きなものを考えているだけでも楽しい時間が過ごせるだろう。そして、次章では、好きな曲を見つけて、それを「キメ曲」にすれば一ヶ月は元気でいられると教えてくれる。さすがは永遠のロックキッズ、山川健一氏らしい発想だ。

この「イージー・ゴーイング」はブログから生まれた本である。アメーバブログの山川健一氏のブログを覗けば、そこで編集会議が読者と一緒に行われているのである。この本の装丁にも、いくつか案があったようだ。あとがきの一文に、こんなことが書かれていた。『ブログとうい場所で、みんなでいっしょに本を作ったんだな、という実感がある』。今、ブログが流行りであるが、そこから一冊の本を生むこともできるのだ。

この本のサブタイトルには「頑張りたくないあなたへ」とある。しかし、これは逆説的なメッセージだ。ぜひ、頑張っている人に読んでもらいたい。肩の力が抜けて、明日からもっと頑張れるから。(山下惣市)

温室栽愛

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温室栽愛/狗飼恭子(幻冬舎)

主人公は実家の喫茶店をアルバイトで手伝う、彼氏なし、友達なし、手に職なしのちょっぴり味気ない生活を送る26歳の女の子、佐知。ある日、佐知の働く喫茶店に大学時代の知り合いの桜子がいきなり姿を現し、次から次へと昔の彼氏を呼び出すという奇妙な行動に付き合わされることになる。桜子は誰の子か分からない子供を妊娠しているのだが、子供の父親が知りたいからそうしているわけではなかった……。
映画やテレビドラマにありがちな、偶然の連続やドラマチックな展開はないけれど、静かな日常の中で揺らぐ恋心と友情がオンナゴコロにじんわり染み渡るストーリー。

実家の喫茶店を手伝う佐知がなじみの客に感じる静かな恋心は、正直、最初は恋愛小説の主人公としては物足りなく感じた。しかし、丁寧につづられていく微妙な心の揺らぎは、ここのところ久しく忘れかけていた恋愛の心地よい苦しさ、切なさをリアルによみがえらせてくれた。そして、この『温室栽愛』では男女の愛だけでなく、女同士の愛=友情も優しく描かれている。佐知と桜子、女の子二人の友情が恋心に負けないくらいに熱いのだ。熱いといっても、女の子の仲良しストーリー的な要素は一切ない。むしろ、無愛想で淡々とした関係の中で確実に芽生えている友情を越えた姉妹愛のようなものが、とてもあたたかく心地よく感じた。
読み終えた後、久々に学生時代の親友と「恋愛話」で盛り上がりたいと思った。最近、どんな恋をしているのかな? (トウマキョウコ)

投資情報のカラクリ

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投資情報のカラクリ/山本一郎著(ソフトバンクパブリッシング)

某掲示板サイトの有名人で、独自の主張を展開するところは興味がある。ただ、あまり深みのある意見とは言えず、とりあえず「粗探し」をしている様にも読めてしまう。急いで作ったからか、校正が行き届いておらず、文章が読みづらいところも残念な点である。

タイトルから、「誤った投資情報を排除し、結果として正しい判断ができるようになる」という期待を持って読む読者も多いと思うが、残念ながら世間のイメージを「斬って」いるだけで、「ではどうすればいいか?」と言う内容はほとんど書かれていない。投資に役立つというより、社会批評のひとつとして捉えるべきだろう。(石野哲也)

笑って仕事してますか?

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笑って仕事をしてますか?―壁を打ち破るヒント、それは笑顔―Sho‐pro books/デイル・ドーテン著、 野津 智子翻訳(小学館プロダクション)

「職場で笑う戦士になるためには」という副題を含ませながら書かれた一種の職場でのノウハウ本である。多くの事例を取り上げながら解かり易く書かれているので一気に読めてしまう。

内容的には、極端に言うと成功事例と著者の理論とを結びつけて「そうあるべき」と結論づけている印象を受けたが、中にはなるほどと思われる言葉や考え方もあるので、職場で迷っている時などに参考程度として読むのにはいいと思う。

また、考え方が全て前向きなので日ごろ仕事で後ろ向きになってしまうような方には見習うべきところが多いのではないだろうか。「試すことは失敗ではない」といった言葉は心の救いになるのでは。 (西森正章)

バグダッドバーニング

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バグダッドバーニング/リバーベンド (アートン)

 つい先日、アメリカのパウエル国務長官が、「イラクには大量破壊兵器はなかった、これからも見つからないだろう」という見解を発表した。ちょうど本書を読んでいた私は、その中に綴られているバグダッドの現状と、テレビで語られた「今さら」な言葉との間で、なんともやりきれない気持ちでいっぱいになった。

『バグダッド・バーニング』は、バグダッドに住む24才の女性によって綴られた、ブログ上の日記である。著者名「リバーベンド」はネット上の名前、本名は明かされていない。

 日記は去年の8月、こんな言葉から始まっている。
「……警告しておこう。不平と暴言をたっぷり覚悟して。」

 そう、日記は怒りに満ちている。「解放」の名を騙った「占領」に対する怒り、祖国を切り売りするような統治評議会に対する怒り、台頭する原理主義に対する怒り、停電と略奪と誘拐と殺人と人権蹂躙に対する怒り………。それらを、ときには豊富な知識を駆使しながら論理的に、ときには皮肉とユーモアを込めて痛烈に語ってゆく。
死と隣り合わせの戦時下(あえて、戦時下と言おう)に暮らす張り詰めた著者の頭脳は、現状を鋭く抉り、欺瞞や逃げを容赦なく切り捨てる。

 日本に暮らす私たちには、目からウロコの現実がそこには溢れている。元プログラマーの彼女は、(電気が通じさえすれば)ネットやテレビの情報をチェックし、イラクの現実が世界に正しく伝わっていないと訴える。目の前で歴史ある祖国が蹂躙されるのを見ていなければならない彼女の嘆きは、読む者の心を打つ。
「アメリカやヨーロッパのテレビ局は、死んでいくイラク人を見せない。(中略)でも、見る“べき”だ。アメリカよ、見るべきだ」
「どうして、イラク人や米軍兵士の死体を見せるのはいけなくて、9月11日の惨事を繰り返し見せるのはかまわないの?」


 そう、誰もが想像できるように、メディアの報道は片寄っている。この本は、数少ないイラクの庶民の声をまざまざと伝えてくれる貴重な一冊だ。

 しかし、私がもっとも胸を突かれたのは、それらの中にごくたまにまぎれこんでくる、場違いなほど美しい瞬間の描写だ。
「この頃、いいお天気が続いている。小さな庭で停電の夕べを過ごす。プラスティックの椅子とテーブルを出して、空を見上げる。夜空はこのところずっと晴れていて、星がきれいに見える。E(著者の弟)は、“星数え”プロジェクトを思いついた。家族それぞれに空を分配して、各自の区画の星の数を数えさせようというもの。私はといえば、“こおろぎ合唱団”を始めることを考えている。枯れたバラの茂みに隠れている6本足の音楽家たちと……」

 どんな悲惨な事件の告発より、こんな場面に私の心は激しく揺さぶられる。なぜなら、ひとりの女性としての彼女が持つ繊細で豊かな感性のきらめきと、底知れぬ悲しみをそこに見るから。願わくば、平和で心安らか生活の中で綴られた彼女の著作が読みたい。そんな日がくることを、心から願わずにはいられない。 (カワキタ フクミ)

介護入門

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介護入門/モブノリオ(文藝春秋)

 自分も実家に帰省すれば、90歳を越える祖母が介護ベッドに横たわり、老齢にさしかかった両親が毎日世話をしている――。だからこの本を選んだ、のではない。「電撃ネットワークの南部虎弾に似た、変な男が書いた芥川賞受賞作」。理由はただそれだけだった。

 主人公の「俺」は、金髪無職で大麻吸引癖のある29歳。事故で下半身不随になった祖母を「自宅介護」しながら、大麻に耽溺る日々を送っている。明確なストーリーはしばらく見当たらず、大麻で酩酊し、脈絡なく吐き出される主人公の「独り言」や「愚痴」、「世間への怒り」がそのほとんどを占める。もちろん、彼が介護を通じて立派に更正するわけでもなく、読者はその散らかった言葉の中からストーリーの断片を捜し、やがて「寝たきりの祖母をめぐる人間関係」というドラマを発見することができるのだ。

 見て見ぬふりをする叔母、まるで冷徹なマシーンのような介護ベッド…。「ばあちゃんと俺」の世界から見る外界が、いかに欺瞞と悪意に満ちているかをありったけの言葉で絶叫する一方で、俺だけに見せる「ばあちゃんの笑顔」がいかに愛情に満ちているかを恥ずかし気もなく自慢する。「金髪無職の大麻吸い」が、「介護」に関してはプロフェッショナルかつきわめて道徳的であり、祖母に全力で愛情を注ぐ、というギャップが新味だろう。

 ところで、この「金髪無職の大麻吸い」と「介護」の構図を「ギャップ」と感じてしまう自分は、誰もが直面するはずの「介護」というものを、「いい人の世界」、「良心の行為」として暗黙のうちに認識していたのだ。そのことに気づき、ハッとする。

 世間ではこの本の文体について騒がれているが、「ラップ調」としてたらしめる“YO、朋輩”や、“Fuckin'shit”といった単語に関しては、特に「新しい」とは思わない。また、時間と色彩感覚が次元を超えて錯綜する描写は、大麻の酩酊状態がよく表現されているものの、かつて多くの作家が実践してきたことだ。ただ――、

 俺は寝たきりのばあちゃんを愛している。誇りを持ってばあちゃんのオムツを取り替える。そのことについて、誰にも文句を言わせない。とでも言いたげな彼のメッセージは強烈だ。本書は「介護の大切さ」や「ダメな俺」をアピールするものではない。「ばあちゃんを愛している」。それだけが何度も何度も、伝わってくる。

 人間は、素直になれない。好きなのに「好き」と言えないし、愛しているのに「愛している」と言えない。それどころか、素直にそれを言い放つ者を前にすると、戸惑いを隠せない。著者の祖母に対する愛情がストレートに描かれてい本書を前に、読者は戸惑うかもしれない。しかし、心の底でジワリとくる感情に気づくだろう。そして、「親の老化」と、その数十年後にやってくる「自らの老化」について、静かに5分考える。その5分のために、数時間費やすべきだ。

 読後。数年ぶりの帰省で握った祖母の手のひらの温かさを、思い出した。(わだのり)