今月の10冊 -2ページ目

くみこの掟

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くみこの掟/武田久美子 著(講談社)

 シャドークンニ60分&手マン素振り1000本&チン立て伏せ200回を己に課し続けて早十余年。「継続は力なり」「石の上にも3年」「桃栗3年柿8年柚は9年で成り下がる梨のバカめが18年」の故事(最後のは故事というより大林版『時をかける少女』)に習い、俺が一日たりとも怠らず性奥義の修練に勤しんでいるのは、俺たちの世代のSEXシンボル・武田久美子さんとの、いつ実現するともわからない究極の一戦に備えてのことに他ならない。なんといっても武田久美子といえば貝の妖精、「貝の上に貝をのっけて隠す」という小粋な戦法を編み出したセックスアピール界のスペシャリストであり、生半可なラーゲ(ジャンプ読みながら豆いじりetc)で攻略できるほど甘い方ではない。入念に「掟と久美子、もし戦わば」を想定するに飽きたらず、全国のありとあらゆるお狸様の祀られたインディーズ神社でお百度踏みまくったりと、神頼みまで駆使して武田久美子さんをモノにすることに執着してきたのだった。

 ……で、必死の水ごりにお狸様も根負けしたのか、なんか書店に行ったらこんな本が! 『くみこの掟』ですてよ、いやマジで!! 俺、掟ポルシェを激しく意識したこと鉄板なこのタイトル、どーですか!! 「掟さんはくみこのものよ!」って宣言と取っちゃっていーんじゃないかなぁ(余裕)。しかしまだ一度も逢ったことないのに、通じ合うことってあるんだなぁ……。工藤静香の『MU・GO・ん…色っぽい』のワンランク上行ってる出会いっつーの? ♪目と目で通じ合う、以上のとんでもなくハイレベルな通じ合いっぷりですよ、いや~マイッタ~!

 ……しかし、背表紙の写真で明らかにハーフの乳幼児を抱いているので、なんじゃこれはと不審に思い読み進めていくうちに、武田久美子さんは現在サンディエゴに移住してアメリカ人の旦那様と御結婚され、彼との間に娘のソフィア・百花ちゃんをもうけていらっしゃることが発覚……。しかめっ面でなにくそとシャドークンニに打ち込んだ日々の努力は、一瞬にして泡と消えた。

 本著は世の男性諸氏にとって常に一線級のいい女であり続けた武田久美子が己が半生を回顧し、女性を磨くための哲学を今度は女性読者に伝授するスタイルになっている。世の女性たちはこれを読み倒して「くみこイズム」を注入し、己の血肉としていただきたい。煌びやかな貝殻水着一丁で街を闊歩する女性たちが、今後増えそうな予感がしている。
(掟ポルシェ)

対岸の彼女

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対岸の彼女/角田光代 著(文藝春秋)

 言わずと知れた第132回直木賞受賞作。
 公園の母親コミュニティになじめず、うつうつとした日々を過ごしていた30代の主婦・小夜子は、再就職のために訪れた会社で天真爛漫でくったくのない独身社長・葵と出会う。人間関係に臆病になっていた小夜子は、仕事に没頭することと、「ひとりでいるのがこわくなるようなたくさんの友達よりも、ひとりでいてもこわくないと思わせてくれる何かと出会うことのほうが、うんと大事」と言う葵との交流を通して、次第に心を開いていく。同い年で同じ大学の出身というこの二人の現在の物語に、葵の高校時代の友人との出来事が挟み込まれるかたちで物語は進行する。
 人は年を重ねるほどに本当の友情を築くことが難しくなる。経済力の差、結婚しているかどうかといった環境の違い、それらに対する先入観という大きな壁。傷つかないために踏み込みすぎず、踏み込ませすぎず。他者との上手な距離のおき方を身に付けていくことは、同時に他者との深い心の通い合いを困難なものにもしていく。実際、上辺だけの関係の方が楽だし、人は容易く馴れてしまう。
 しかし、そういった関係に違和感や閉塞間を感じ、一歩踏み込んでいくかどうか。そこには、なんの打算もない思春期をどう過ごしたかが大きく影響するのではないだろうか。他者と真剣に向き合うとはどういうことなのか、自分にとって本当に大切なものは何なのか、そういったことを真正面から考えたかどうか……。自分の中に、近しい人の中に、ぽっかりと空いた空洞。それを目を背けずに直視し、受け入れ、そして乗り越えていくこと。その先にこそ、作品冒頭の「私って、いったいいつまで私のまんまなんだろう」という小夜子のつぶやきへの答えはある。
 違う環境、違う年代の二つの人間関係を、さらに違う視点から描くことによって、女の友情の様々な面をより克明に浮き上がらせることに成功している。単なる友情物語という言葉では括れない感動作です。(カワキタフクミ)

なんくるない

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なんくるない/よしもとばなな 著(新潮社)

年末に八重山諸島方面へうさぎを撮りに行っていたので、旅の残像と行間から魔法のように立ちのぼる映像が混じり合って、眉間あたりからちゅるっと入って来た気がします。

特に表題作『なんくるない』(なんとかなるさという意味)にやられました。愛犬の死と平行して書かれた作品だそうで、何か淡々としたただならなさを感じました。もし話に破け目があったとしても、そこから絶え間なく移り行く日々への生々しい愛おしさがぼろぼろとこぼれて来るような。

「とても言葉には出来ないような感じのこと」が好きな、元女優でイラストレーターの桃子が「口に出して言える目標」が好きな夫との離婚その他でマイペースへの信頼を無くしかけ、ゆるやかに凹みきった後に訪れた沖縄の食堂で出会った、家業手伝い中の一見ダメっぽく更にバカ正直な青年トラに、何故かその犬の魂が宿っているような気がしました。描写に愛がありました。

ダメというのは、ひとつの物差しで見た時のことばでしかない気がします。勘と五感にうそをつかない、丁寧な発言と愛情表現は彼女や読み手にとってちっとも無駄でもダメでもなかったです。彼の母や姉や周りの人たちも優しくて、食堂のごはんもとてつもなくおいしそうで、まるで『キッチン』に出て来たかつどんの奥にあったものが無理なく島の日常や人々の形に変身しているようでした。

その昔『マリカの永い夜』の一場面(光の中でカーテンが揺れるところ。映像が焼き付いて、思い返す度に、何故か落ち着く)にお世話になりました。そんな体験、された方もいるんだろうなと思います。

各作品を読む度に、直感と細心のバランス感覚で、自分の目を信じて一秒一秒を切り開いて行っていいんだって、いつも勇気が出ます。しんどい状態から、太古のいろんな素朴なお祈りの言葉のような「良心」を思い出させてくれるような間口の広い回復スイッチであり、どの宗教にも属さない説話のようです。いったい何処と繋がっているんだろう・・・。今回もごちそうさまでした。次の「いただきます」がたのしみです。(松本典子)

落としの技術

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落としの技術/北芝 健 著(双葉社)

 実は、私の妻の父は警視庁捜査二課の刑事だった。妻をもらいに、実家で義父と向かい合ったとき、客間の雰囲気は取調室に変貌した。「ダンナ、全部吐きますから」。そんなセリフが口をつきそうなくらい、私は追い詰められた。私は、刑事が持っている独特の威圧感に追い詰められていた。

 ところが、この本をみると、そんな簡単な被疑者ばかりではないようだ。著者の北芝健氏は、テレビにもしばしば登場する元警視庁の刑事だ。この本には、刑事が使う「落とし」の技術の粋が集められている。

 被疑者を落とすということは、結局いかに被疑者と心を通わせるかということだ。被疑者の様子を細かく観察し、バックグラウンドを調べ、小さな共通点をみつけて共感を得る。その後、被疑者を持ち上げ、必要に応じて戒める。本書にはそうした落としの技術が、実際の取調べの実例を示しながら豊富に紹介されている。

 こうした落としの技術は、営業活動や異性を口説くときの技術とほとんど同じだ。刑事の落としの技術を覚えておくと、思わぬところで役立つだろう。

USAカニバケツ

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USAカニバケツ/町山智浩著(太田出版)

1999年の夏からテキサス州ダラスに一年ほど住んでいた。まず、アメリカに着いて驚いたのが、なんとおデブちゃんの多いこと。肥満大国とは聞いていたが、日本にはいないレベルの太っちょが、ごろごろしているのだ。アメリカでも健康ブームなのに、なぜにこの肥満ぶり?

ある太り肉の友人と知り合った。「この牛乳はFAT FREE!(無脂肪)だから健康にいいんだ」と言いながら大量のフライドチキンを胃袋に流し込み、「今ダイエット中だから」と寿司バーへ出かける。彼にとってライスは健康食品らしく、シャリを醤油にたっぷり浸して食べまくる。いつも昼食はポテトチップで、食後にサプリメントをコークで飲むことを忘れない。そりゃ太るわと思うんだけど、本人はいたって真剣なだけに笑ってしまう。

アメリカほど日本に身近な国はない。あらゆる文化が日本に流入している。しかし、それでアメリカを知ったつもりになったら大違い。ブッシュ2期目の大統領就任演説があった。要約すればこの一言につきるだろう「アメリカの自由という理想を世界に普及させる」。確かに、アメリカは自由の国であった。

今回ご紹介する町山智浩著「USAカニバケツ ~超大国の三面記事的真実」には、Newsweek Japanでも、CNNjでも伝えない、アメリカのもう一つの姿がある。アメリカで桁違いなのは肥満だけじゃないのだ。この「USAカニバケツ」には94本のコラムが収録されているが、コラムの数だけ驚きがあるのだ。そのいくつかを紹介しよう。

・ミシシッピー州の33歳の男性は、自分の両足を切断する瞬間をインターネットで中継すると公表した。しかし、それは一人20ドルのカンパを払わないと観られない。カンパの合計が10万ドルになったら決行するという。

・アメリカでは裁判の模様をテレビ放送しているが、殺人犯が警察の尋問に答える映像を放送する番組が始まった。尋問に答えて犯人が語る「モニカがコカイン中毒でラリってナイフ振り回したんで殴ったんだ。(中略)彼女冷たくなってた。ヤバイから切り刻んで、鍋に煮た~(以下酷い内容が続く)」。日本のテレビじゃ絶対に放送できない内容だ。

・正義のヒーロー「バイブルマン」というヒーロー番組がある。武器はキックやミサイルではなく聖書である。悪の貴公子から「エゴ肥大光線」を浴びた人々が嫌なやつになってしまう。そこに登場したバイブルマン、聖書の箴言27章2節から、聖書アタックを繰り出すのだ。

ほんとアメリカは自由。なんでもありかよ!と驚き笑い、そして呆れるてしまうだろう。著者である町山智浩氏は、今年でアメリカ在住7年を数える。氏曰く「スーパーのレジで売っているタブロイド誌を読み、コメディ専門チャンネルの冗談ニュースで政治経済を知り、アメリカを底の方から見ている毎日」であるという。

ハリウッド映画を観ても、ビルボードのヒットチャートを聞いても、そこにあるのはカッコイイだけのアメリカだ。アメリカが世界に誇ってやまない自由。その底辺にある、もう一つのアメリカが「USAカニバケツ」に詰まっている。
(山下惣市)

野ブタ。をプロデュース

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野ブタ。をプロデュース/白岩玄著(河出書房新社)

 「俺はいつも通り屋上に野ブタを呼び出すと、今日は飲み物なしでミーティングを開いた。野ブタは(中略)他のクラスの男子に(中略)プロレス技をかけられていたらしく、首と腕が痛いと嘆いていた。」
 男子高校生の「野ブタ」は、ネーミングのトーン通りにイジメられっ子だ。「俺」も高校生だが、「野ブタ」君をプロデュースして人気者に仕立てようとしている。
 「俺」がどういう手腕を発揮したかは読んでいただくとして、意識してた、してなかったにかかわらず、「プロデュース」って自分の高校時代にもあったよな、と思ってしまう。たとえば初めて吸ったタバコというのは、たいてい先輩か良くない同級生の友人からもらうものと決まっているが、男として初めてのタバコをくれた相手には一生、頭があがらない……。大げさかもしれないが、そんな気がする。
 でも、負け惜しみだが、誰からタバコをもらうかは自分で決めたんだよとも言いたくなる(僕の場合は、同級生のオチ君でした)。自分でプロデューサーを選んだんだって、ホントはセルフプロデュースだったんだって!!
じつはこのセルフプロデュースが、『野ブタ。をプロデュース』のテーマにもなっている。「野ブタ」の側から読めばパーカーの『初秋』にも通じるビルドゥングロマン(成長小説)なのだが(ホントか?)、「野ブタ」君が成長した後、「俺」に残るものは何なのか?
とくに物語の終わり部分は、「俺」の側から読めば、他人をプロデュースすることで、自分をもプロデュースしていたというセルフな成長ものになっている。ただ、「俺」は「野ブタ」との関係性のなかで精神的に喰われてしまい、そこには何も残っていない。しかし、それこそが自分でプロデュースした新しい「俺」だ。
 新しい「俺」を抱え、「野ブタ」と別れた「俺」が、セルフプロデュースによってよみがえるために新しい舞台に向かうラストシーンは、感動的ですらある。
(近藤雄策)

考える技術

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考える技術/大前研一著(講談社)

 今から12年ほど昔、こころも脳も非常にフレッシュな新入社員時代、先輩がはじめて推薦してくれたビジネス書が大前研一の『企業参謀』(プレジデント社)であった。夢と希望に満ちた新人時代、この本を読んで、自分もビジネスエリートを目指すのだと意気込んでいた自分自身を思い出すと、少し気恥ずかしい。
 今回の『考える技術』の根っこはその『企業参謀』で説かれていた論理的思考力である。この論理的思考力を身につけるための道のりは相当難関である。まず何事もそのまま受け入れるのではなく、自分で考える癖をつける。考えることは自分に質問することであり、問題解決力であるという。問題解決力を身につけるためには、仮説・検証・実験という科学的思考が有効である。また、現代の経済・社会は方程式を当てはめれば必ず正解が得られる線形思考ではなく、複雑系の世界であるため、非線形思考が必要だ。勝ち残るには最低でも5年先の世界を見通す思考力が必要だという。知的に怠惰な人は生き残れない。厳しいが、これが事実だろう。
 久しぶりに大前研一の本を読んで、いかに日ごろ、頭を使っていないかを思い知らされた。本当に身が引き締まる。この書評を書いていたら、年が明けた。毎日続けている筋トレのメニューに「脳の筋トレ」を取り入れようと思う。今年こそ知的ビジネスマンを目指そうとしている方、もしかしたらまだやり直せるかもと思っている悩めるビジネスマンの方々には非常に良く効く脳のビタミン剤になる一冊です。ただし、栄養価が高すぎ、吸収しきれず、すべて放出される可能性もあり。 (なみへい)

竜馬がゆく

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竜馬がゆく/司馬 遼太郎著(文春文庫)

 ご存知、幕末維新史上の奇蹟、坂本竜馬の話。竜馬を中心に、その時代を一緒に生きた若者を描く長編小説。

 本嫌いな男、本好きな男、両者からススメられたが、なかなか手に取れなかった1冊。だって、歴史モノって漢字が多いし、人の名前が長いし、読めないし。男が薦めるモノって、どうせ泥臭いやつでしょ?が理由でした。しかし、浅はかな先入観で拒否しちゃいかんですね。ヤバイ。おもしろい。泥臭さ、大いに結構。幕末ってすげぇ。頭の良さとハートがあれば、国を変えれるんですよ。そりゃ芸人に竜馬ファンが多いのが分かる。置き換えちゃうんですなぁ、自分の仕事と幕末を。「笑い」のためには何が必要か?頭の回転と、人望と、「ここで死んでもいい」と動物に噛まれにゆく覚悟と、という感じで。「志士であれ!」となっちゃうんですなぁ。そういう私も仕事がうまくいかない時、ビビって前に出られない時、こう考えます。「ここで竜馬ならどう動くか?」と。・・・かぶれてます。しかし、毎度・・・負けてます。ま、仕事にお悩みな方にオススメします。己のちっぽけな言い訳なんて、どーでもいいんですよ。志を抱いて、熱く、ゆきなさい!

 ここまで熱くなっておいてなんですが、まだ、6巻の途中までしか読んでません。すいません。(光浦 靖子)

袋小路の男

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袋小路の男/絲山 秋子著(講談社)

帯に「現代の純愛小説」とあったが、表題の「袋小路の男」は軒並みヒットしている純愛小説とは一味違う異色作。誰もが感動するラブストーリーではなく、好き嫌いが分かれる物語ではないかと思う。

主人公と片想いの相手(=袋小路の男)の12年間が淡々と綴られていくのだが、特に感動で涙するような出来事や描写はほとんど出てこない。まず、袋小路の男は体温を感じられないようなクールな人物だし、12年間、一人の人を思い続けた主人公の恋心すらもどこか客観的で淡白に感じてしまう。でも、不思議なことに、読み進めていくうち、私は袋小路の恋物語にぐっと引き込まれてしまい、ラストではしっかり胸が熱くなり涙してしまった。

ドラマチックで泣かせるラブストーリーも私は大好きだが、それは映画やドラマでの話で共感するところは少ない。この「袋小路の男」の中に描かれているような日常生活こそ、私たちが胸を痛め、心を熱くしているリアルな恋愛なのだと思った。

表題作以外も、誰もが体験しうる日常生活を舞台に淡々と語られていく物語が2作収録されているが、いずれも心の動きが実に繊細に描かれており、いずれも「もし私が同じ立場だったら……」と勝手な想像力を働かせて、共感しまくったのはもちろん、絲山秋子さんの才能に感動しファンになってしまった。すでに様々な分野から注目を集めている作家さんだが、まだ読んでいない方は(特に女性)『イッツ・オンリー・トーク』(コミカルで笑えます!)から是非手に取ってみてほしい! (トウマキョウコ)

市場の中の女の子

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市場(スーク)の中の女の子/松井 彰彦著(PHP研究所)

気鋭の東京大学教授による近著『市場(スーク)の中女の子』のは、経済学ファンタジーとでも呼ぶべき新しい雰囲気を感じさせる本。多くのビジネスパーソンに一読をお勧めしたい。主人公の本好きの15歳の女の子が、ベニス・アラビア・モンゴルからジパングへと彷徨う東方見聞録風の物語は、軽妙なイラストとあいまってサラサラと流れるファンタジーそのもの。その中に、物物交換から商品貨幣さらには国家信用に基づく貨幣へと発展していく過程、さらには人間の欲望を根源とした需要と供給のバランスの問題など、経済学の根幹となるテーマが配されているのだが、数式はおろかグラフさえ出てこない。逸話の中に各テーマのエッセンスがさりげなく散りばめられ、思わず感覚的な納得をさせてくれる。後段には「文化の経済学」という経済学の中でも新しいテーマが盛り込まれていて、すでに経済学を学んだことがある読者も興味を魅かれるに違いない。「お金も文化も共通に持っている性質」「みんなが従うからわたしも従う」という風に解釈することで考察をすすめる経済学の新しい知見が、物語の狂言回しの説明の中で語られとき、大きな文化的変化に直面しているといえるいまの日本の現状と重なってとても示唆的な響きがある。この分野に更に興味がでてくれば、同じ著者の硬派の著作である『慣習と規範の経済学』にも手を伸ばすきっかけとなるに違いない。(高橋英之)