野ブタ。をプロデュース | 今月の10冊

野ブタ。をプロデュース

▼この本に関する情報▼
野ブタ。をプロデュース/白岩玄著(河出書房新社)

 「俺はいつも通り屋上に野ブタを呼び出すと、今日は飲み物なしでミーティングを開いた。野ブタは(中略)他のクラスの男子に(中略)プロレス技をかけられていたらしく、首と腕が痛いと嘆いていた。」
 男子高校生の「野ブタ」は、ネーミングのトーン通りにイジメられっ子だ。「俺」も高校生だが、「野ブタ」君をプロデュースして人気者に仕立てようとしている。
 「俺」がどういう手腕を発揮したかは読んでいただくとして、意識してた、してなかったにかかわらず、「プロデュース」って自分の高校時代にもあったよな、と思ってしまう。たとえば初めて吸ったタバコというのは、たいてい先輩か良くない同級生の友人からもらうものと決まっているが、男として初めてのタバコをくれた相手には一生、頭があがらない……。大げさかもしれないが、そんな気がする。
 でも、負け惜しみだが、誰からタバコをもらうかは自分で決めたんだよとも言いたくなる(僕の場合は、同級生のオチ君でした)。自分でプロデューサーを選んだんだって、ホントはセルフプロデュースだったんだって!!
じつはこのセルフプロデュースが、『野ブタ。をプロデュース』のテーマにもなっている。「野ブタ」の側から読めばパーカーの『初秋』にも通じるビルドゥングロマン(成長小説)なのだが(ホントか?)、「野ブタ」君が成長した後、「俺」に残るものは何なのか?
とくに物語の終わり部分は、「俺」の側から読めば、他人をプロデュースすることで、自分をもプロデュースしていたというセルフな成長ものになっている。ただ、「俺」は「野ブタ」との関係性のなかで精神的に喰われてしまい、そこには何も残っていない。しかし、それこそが自分でプロデュースした新しい「俺」だ。
 新しい「俺」を抱え、「野ブタ」と別れた「俺」が、セルフプロデュースによってよみがえるために新しい舞台に向かうラストシーンは、感動的ですらある。
(近藤雄策)