天使の梯子 | 今月の10冊

天使の梯子

▼この本に関する情報▼
天使の梯子/村山由佳(集英社)


<誰に何を言われても消えない後悔なら、自分で一生抱えていくしかないのよ>

 丁度直前に、『純愛カウンセリング』岡村靖幸を読んでいたので、こちらはどんな愛の形なんだろうと深呼吸しながら開きましたが、むしろ物心つかないこ
ろ、何となく観ていた教育テレビでの映画に、生まれて初めて大泣きしてしまった時に似ていました。

 確か、『汚れ無き悪戯』というイタリアのモノクロ映画でした。ひとりで留守番をしていた、幼稚園の休みの日の昼下がり、筋を追って感動するということ
もおぼつかないままに登場人物を見詰めていて、水の中に突き落とされるように物語そのものの結末に吸い込まれてしまったような。

 修道院に拾われた孤児が屋根裏部屋のキリストと出会って..、という宗教的な話だったけれど、お茶目で皆に愛される孤児の男の子の描写は、こどもから
観てもともだちになりたいと思うくらいに身近に思えて、だからこそ、最後にすとん、と終わりになった時は恐怖とも悲しみともつかない感情の大波に襲われ
ました。

 物語の原型から、直に背負い投げされたような。

 取り返しのつかない喪失を抱えたまま10年の間生きてきた歩太。彼の世話を焼くことで辛うじて自らを立たせている夏姫。両親に捨てられ、唯一見守っていてくれた「ばあちゃん」を亡くしたばかりの夏姫の元教え子の慎一。夏姫は慎一に寄り添ううちに、かつての物語をなぞるように恋に落ちて行きます。

 自らを責めて行き場の無くなった想いは、会話のやりとりの中でゆっくりと浄化され、宮沢賢治の、とあることばで空に引き取られてゆきました。そこで、何故『汚れなき悪戯』に印象が重なったのか、はっきりと判りました。両思い・成就で満たされる恋愛というよりも、ジョバンニとカムパネルラのような喪失とその後の生や「ほんとうの幸い」の方向へ物語が向いていたのだと。その他「ごんぎつね」というか、なんというか。
 
 でも、確かに慎一の淡い恋から始まっているし、西武線沿線(大泉学園や石神井公園)が舞台だし、日常から離れ過ぎている場面はひとつもありません。
 
 それでも、切実な読者は気が付くと「天使の梯子」の下に、各々の大切だったひとが立っているのを観ることも出来るでしょう。そして、更に物語は10年前からの哀しみを全て昇華させる決意を持ったかのように進みます。

 理不尽な出来事に遭遇して心に深い傷を負ってしまったとしても、生まれかわりを待たずとも、今生きているうちに泪(本文より)を流し切り、時間がかかっても乗り越えて行けたら。その経験の分誰かに優しく出来たら、という祈りの様な願いを追体験させてくれました。
  
 恋愛のデロリとした面を求める人には物足りないかもしれませんが、必要としている人には、200キロぐらいの直球でみぞおちを直撃するはずの一冊です。(松本典子)