介護入門 | 今月の10冊

介護入門

▼この本に関する情報▼
介護入門/モブノリオ(文藝春秋)

 自分も実家に帰省すれば、90歳を越える祖母が介護ベッドに横たわり、老齢にさしかかった両親が毎日世話をしている――。だからこの本を選んだ、のではない。「電撃ネットワークの南部虎弾に似た、変な男が書いた芥川賞受賞作」。理由はただそれだけだった。

 主人公の「俺」は、金髪無職で大麻吸引癖のある29歳。事故で下半身不随になった祖母を「自宅介護」しながら、大麻に耽溺る日々を送っている。明確なストーリーはしばらく見当たらず、大麻で酩酊し、脈絡なく吐き出される主人公の「独り言」や「愚痴」、「世間への怒り」がそのほとんどを占める。もちろん、彼が介護を通じて立派に更正するわけでもなく、読者はその散らかった言葉の中からストーリーの断片を捜し、やがて「寝たきりの祖母をめぐる人間関係」というドラマを発見することができるのだ。

 見て見ぬふりをする叔母、まるで冷徹なマシーンのような介護ベッド…。「ばあちゃんと俺」の世界から見る外界が、いかに欺瞞と悪意に満ちているかをありったけの言葉で絶叫する一方で、俺だけに見せる「ばあちゃんの笑顔」がいかに愛情に満ちているかを恥ずかし気もなく自慢する。「金髪無職の大麻吸い」が、「介護」に関してはプロフェッショナルかつきわめて道徳的であり、祖母に全力で愛情を注ぐ、というギャップが新味だろう。

 ところで、この「金髪無職の大麻吸い」と「介護」の構図を「ギャップ」と感じてしまう自分は、誰もが直面するはずの「介護」というものを、「いい人の世界」、「良心の行為」として暗黙のうちに認識していたのだ。そのことに気づき、ハッとする。

 世間ではこの本の文体について騒がれているが、「ラップ調」としてたらしめる“YO、朋輩”や、“Fuckin'shit”といった単語に関しては、特に「新しい」とは思わない。また、時間と色彩感覚が次元を超えて錯綜する描写は、大麻の酩酊状態がよく表現されているものの、かつて多くの作家が実践してきたことだ。ただ――、

 俺は寝たきりのばあちゃんを愛している。誇りを持ってばあちゃんのオムツを取り替える。そのことについて、誰にも文句を言わせない。とでも言いたげな彼のメッセージは強烈だ。本書は「介護の大切さ」や「ダメな俺」をアピールするものではない。「ばあちゃんを愛している」。それだけが何度も何度も、伝わってくる。

 人間は、素直になれない。好きなのに「好き」と言えないし、愛しているのに「愛している」と言えない。それどころか、素直にそれを言い放つ者を前にすると、戸惑いを隠せない。著者の祖母に対する愛情がストレートに描かれてい本書を前に、読者は戸惑うかもしれない。しかし、心の底でジワリとくる感情に気づくだろう。そして、「親の老化」と、その数十年後にやってくる「自らの老化」について、静かに5分考える。その5分のために、数時間費やすべきだ。

 読後。数年ぶりの帰省で握った祖母の手のひらの温かさを、思い出した。(わだのり)